2006年3月27日 (月)

記憶術に再挑戦

●記憶術に再挑戦
以前、記憶術についてずいぶん考えてきたが、結局、記憶というのは人間の意識に余るものだという結論を得て意識的な記憶術の構築は諦めてしまった。

しかし、いま改めて思うと、2種類の道があることがわかる。
1.イメージ化の方法
2.身体化の方法

1の方法は一般的な記憶術と呼ばれている方法である。
2の方法は一般的には体で覚えると言われている方法である。

この2つの方法は全く異なるものである。
そして、記憶術といった場合、従来は1の方法のみが取り扱われてきた。
私の経験では、1の方法のみでは記憶術は容易に破綻するのである。
むしろ重要なのは2の方法であり、1の方法がそれを補完する役割を果たしているとみるべきである。

身体化の技法は端的に言うならば、人間のアーキタイプを最大限に利用する方法である。
それはリズム感、美醜、快不快、などを利用する方法である。
ABCの歌、九九、俳句、などはその一例である。
ここにおいては「反復」が重要な方法となる。

イメージ化が意識的で理性的な方法であるとするならば、身体化は無意識的で感情的な方法であるといえる。
たとえば、水泳や自転車や車の運転の記憶(技術的な記憶)も身体化の一例である。

記憶術の技術の研究は、イメージ化と身体化の両方を対象にしなければならない。
そして、今まで記憶術として研究されてきたのは主にイメージ化の方法であった。
確かにイメージ化は大切な方法であるが、しかしそれは身体化を補佐するものであろう。

たとえば我々は母国語を記憶しているが、これはイメージに変換して記憶しているのではない。
身体化された記憶なのである。
九九もそうである。復唱とリズム感によって身体化された記憶であって、九九のイメージから記憶しているのではない。九九はわかりやすい例だろう。九九はリズムで覚えているのであって、イメージで覚えているのではないことは多くの人は実感できるだろう。

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