2006年11月20日 (月)

FIA会長、「F1の無料放送は必要」

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2006/11/20
FIA会長、「F1の無料放送は必要」
F1の商業権をリードするFOM(フォーミュラ・ワン・マネージメント)は、各国のテレビ放映に巨額の負担を強いているが、これによりフィンランドやポルトガルなどで、無料の放送から有料チャンネルへの切替を計画していると伝えられる。
こうした動きについて、マクラーレン・チームのロン・デニス代表はかねて、「無料放送の減少は、F1の視聴者数を少なくし、やがてフォーミュラワンへのスポンサーの離脱というマイナス面を生む」と、警告している。
これを受け、FIAのマックス・モズレー会長も、「フォーミュラワンは誰でも自由に見ることができるというのが肝要で、これはマニュファクチャラーズにとっても、またわれわれ自身にとっても重要なことだ」と、無料放送を守る姿勢をみせている。

やはり欧州の人たちはわかっている。
有料放送にして一時的には収益を上げてもそれが長期的には自分たちの首を絞めるものであることを見抜いている。そう、彼らはがっついていない。がっつくほどの貧しさは彼らにはないのである。だから短期的な収益に惑わされないのである。
日本のデジタル放送がコピーワンスなどと騒いでいる間に視聴者は既に離れている。
いや公共放送の電波を独占しているのだから、離れようにも離れられないはずだ、というのが放送局側の人間の読みである。
しかし、既に若者の大半はTVから離れているし、ましてやそれがコピーワンスでTVの買い替えが必要でなおかつ今までと同じような低品質の番組を見せられるのであればなおさら見なくなる。
そうすればどうなるか。まずスポンサーは離れるだろう。
その行き先はもちろんWEB上の放送局となるだろう。
若者が離れても中高年が見るから大丈夫だ、という見方は間違っている。
現代に至るまで、若者に見捨てられた分野が中高年によって盛り返したという例はない。逆に、若者に受け入れられたものが後になって中高年にも受け入れられた結果、一般化するのである。
TVもこのままだといづれそうなる。
まあそうなっても別に何も心は痛まないのであるが。
むしろ、アナログビデオの録画は許容していたくせに、デジタル録画が可能になった途端に「著作権」なるまがい物を持ち出して視聴者を恫喝する放送局などさらに信用がおけない。
私もTVをPCで録画して見ている者であるが、そのまま実時間で見るような番組なんてない。1時間番組で、CMをスキップして10分、冗長な場面をすっ飛ばして20分、面白いところが20分、くらいなので、大体20分くらいで見れてしまう。
だから同じ番組を見ているとしても、それに費やす時間は大体3分の1である。
ただし面白い映画やドキュメンタリーはその限りではないが、そのようなものは少ない。このような見方が可能となると、TVの前で実時間を掛けて番組を見るという行為は時間の無駄だと感じるようになる。やるとしても飯を食いながらなど時間を潰すのが目的である。TV番組というのは非常に濃度の薄いものなのである。

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2006年11月 8日 (水)

2年遅れるな

これは私の経験則であるが、何か革命的なものや真に進歩的なものが一般に認知されるまでに広がるのはそれが生まれてから約2年かかる。

GoogleにしてもBlogにしても何にしてもそうだと感じる。

確かにそうでないものもある。

プレステ2とか爆発的にヒットするものがそうだ。

しかし、そのような事前の売り込みやマスコミや期待値がない場合、つまり、事前の宣伝がない場合のガチでの勝負の場合、それがいいものと認知されて一般的になるのに早くて2年かかる。

だから、2年後の未来が現在に含有されている。

ただしどれが2年後に一般的になっているのかはすぐにはわからない。

また2年という時間が今後短くなることはあっても長くなることはないだろう。

社会制度や環境的なものの場合は、たとえそれが良いものであっても取り入れられないだろう。

だけど、モノや方法や情報など小回りが効くものの場合、つまり、商品的なものの場合、徐々に広がっていって、やがてそれが常識的な存在、スタンダードな存在となる。

それは単なるモノや情報だけでなく方法も含まれる。

そして良いものであっても宣伝やマスコミがない限り、それは徐々に広まっていき、爆発的に広まることはない。

注目すべきは、現在一部で高評価を得ているものが2年後にはスタンダードになっているということだ。だからそれが見つかれば2年後が見えるのである。

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2006年11月 7日 (火)

リファクタリング

現在の職場では将来的にはリファクタリングの作業に携われることになっている。

しかもけっこう大規模なリファクタリングだ。

これは実はとてもとてもとてもラッキーなことだ。

Javaのリファクタリングの作業なんてなかなかできるものではない。

しかしなぜだろう。

私はこのプロジェクトにそんなに長く居れるような気がしないのである。

直感的に。この予言が外れることを祈る。

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2006年11月 1日 (水)

人は何故ブログを書くのか

何故だろうか。

誰かと繋がりたいからか。

それとも情報を広めたいからか。

私の場合はどうだろう?

そこにはやはりレスポンスが欲しい、世の中の人々にこれだけは言いっぱなしたい、という欲望がある。

しかし何だな。

こうまで何も反応のないブログを続けていると、何かこう、見知らぬ星に不時着した宇宙船の船員になって、毎日日記を書きながら誰か未知の知的生命体はいないのか、と探している心境になる。

全てをブログで公開してしまおうかとも考えるときがある。

今までは、「何をブログに公開しようか」という迷いだった。

しかしこれからは「何をブログに公開しないか」というパターンでは?

ところで、今この文章はログイン画面から記事作成の管理画面の中で書いている。通常の技術系の記事の場合は、前もってテキストエディタに書いておいたものを貼り付ける。

しかしそれではその場の即興の気分とは離れてしまうだろう。

雑談に関する限り、下書きは邪道である。

やはり雑談ならば卒意だろう。

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2006年10月26日 (木)

マイクロマネジメント

マイクロマネジメントはいけない。それは愚かなこと。だからそれをする人(管理職)も愚かな人。
これは正しいのであるが、言葉の意味で紛らわしいのは、マイクロマネジメント=細かい指示、とは一概に言えないということだ。

例えば、ドキュメントのフォントはxxポイントでxx体でなければいけないとか、である調でなければいけないとか、xx行間隔を空けなればいけないとか、本質的でない事柄に異様に拘るのがマイクロマネジメントの特徴。

要はそれが本質的か本質的でないかの区別がついていないのが問題なのである。
だからもしそれが本質的なことならば、細かい事柄にまでも拘って構わない。
むしろ、細かいから本質的でないというのも問題である。
しかし、大体において、細かいことは本質的でないことが多いのだ。
だから細かいことに(異様に)拘ること=マイクロマネジメントと捉えておいて大体は間違いない。

ただ、ソフトウェアの世界は細かいことでもけっこう本質的なことが多い。
だから何が本質的なことかが見えてなければいけない。
そしてそれはやはりソースコードが読めてコーディングが出来なければそこら辺の判断はできないのだ。

マイクロマネジメントなんて愚かなことは、それによって虚栄心が満たされる小心者か、何が本質的かわかっていないプログラム盲な人か、それによって間接的に苛めてやろうというような邪悪な人しかやらない。いづれにしてもそのような場所は碌な場所ではないだろう。

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思い煩わないこと

新約聖書からイエスの言葉。

明日のことを思い煩うな。明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労はその日だけで十分である。

釈迦も同じことを言った。
 「執着を離れよ」と。

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人間の寿命

聖書 創世記 6章から
さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。
神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。
主は言われた。 「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。

なんで3千年以上昔の古代人が最近になって明らかになった人間の寿命を知っていたのだろう?
これを「偶然」と答えることは簡単だ。(そしてそう言う人は大概は勝ち誇っているのだが)
しかしこのような不思議は大切にしたい。
これを不思議と感じなくなり、闇雲に否定しようとする態度になったとき、その人は「あちら側」にいってしまったと判断するべきなのである。
「あちら側」に行ってしまった人はもう戻ってくることはない。
なぜならば、戻ってくるということは、「あちら側」に行ってしまった自分を否定することになるからである。

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竜は海辺の砂の上に立った

ヨハネの黙示録 12章から

竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った。

そして、竜は海辺の砂の上に立った。

なんてかっこいい表現だろう。ここには最先端のSF映画を超えたSFがある。

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楽しいということ

楽しいということを大切にするべきだと思うようになった。
楽しいというのは、けっこう微妙な「状態」なのだ。

これは、充実しているとか、一生懸命とか、全力を出しているとか、時間を有効に使って人生を楽しむ、というような意識的なものではない。

そのような「意思的な姿勢」が混じってしまった途端に「楽しむ」という状態は壊れてしまうのである。

例えば、ゲームをやっている時。漫画を読んでいる時。
何も考えていないはずだ。
充実させようとか、全力で人生を楽しもうとか、何も考えていないはずだ。
そもそも、「楽しもう」と考えて楽しむなんてことはないのである。
あり得ないのである。

そして楽しむということで大切なのは、それが疲れないことである。
正確に言えば疲れを意識しないということだ。

だからそれは別に充実した感じもないし、時間的な密度も濃くはない。
しかし、そうであってもこの「楽しい」という状態は最も大切な状態であると思っている。

そもそも、楽しいの「楽」という漢字は、楽=らく、という意味である。
「らく」なのだ。「らく」なものでなければならないのだ。
だから疲れるようなものは全て「楽しい」という状態に反している。

楽しんでいるとき、自分を観察している自分(=メタ認知)はいない。
そもそも楽しいという感覚さえない。
あるのはただ「追っている」という感じだけだ。
何かを追っかけている。

努力とか、一生懸命とか、我慢とか、楽しもうという姿勢とか、そういうものは全て「楽しい」という状態に反しているのである。

自分にとって何が楽しいのかを反芻してみればわかる。
そうすれば何を大切にするべきなのかが見えてくるだろう。

そこでは楽しいか楽しくないかの2分しかないはずである。

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ITで成功するには

今も昔も王道はアプリケーションを開発すること。
4年くらい前まではデスクトップというかローカルで動くアプリが主流だったが、今はWEB上で動くアプリが主流だ。googleもWEB上で動くアプリの一例である。

注意しなければならないのは、あくまでもアプリケーションであって、システムではないということだ。
システムを開発して成功した会社ってあるのかな。
たぶんないはずだ。システム開発だけで一流に上り詰めた会社って。

在ったとしても大体は実はその会社独自のフレームワークとかライブラリを持っているからというのが理由だったりする。つまりこれも間接的にはアプリケーションが成功の原因になっているのだ。
(例:シンプレクス・テクノロジー)

あるいは大きなメーカー系の系列の会社でその会社関係のシステム開発を一手に担っているとか。
(例:NTTデータ、日立ソフト、など)
これは親会社に依存していると言えるだろう。

日本でアプリケーションを作成して成功している会社ってすごく少ない。
IT企業のほとんどはシステム開発・保守・運用・構築など、システムの側である。

システムの側に居ては高収入や成功は非常に難しいのだろう。

だからアプリケーションの企画は常に考えている。
まあどうせ一個人が生涯で作成できるアプリケーションなんて5本くらいだろう。
でもこれを狙わないとシステムの側からの脱却ができない。
システムの世界で上に昇るよりはこちらを選ぶことにしたのである。

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